<< July 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< ミニろく@富士スピードウェイ行ってきた | main | BMC走行会vol.19 >>

2011.06.08 Wednesday

実家がモロ被災したからこの二ヶ月あったことを日記にしようと思うんだよね(3)

 「飽きられるのが悲しい」っていうじゃないですか。
 実際、3ヶ月前よりずいぶんと静かになった印象があります。静かになったというより、あるのは知ってるけど水面下になってるような印象。
 なんでこうなっちゃうのか、私なりに考えてみたんですよ。

 「想像するための材料がない」

 からじゃないのかなと。
 被災当事者は現在進行形で不便を強いられていたり、玄関出ればものの数時間も立たずに現場を見たりできるわけじゃないですか。だから、文字以前に目の前の現実が震災なんですよね。
 じゃあ遠方は、というと、想像力を駆使してしか、現実の震災を現実として継続することができないんですよ。
 データや情報としての継続は、「ただの終わった出来事の羅列」であって、今ここにある現実じゃないんですよね。歩いて3分被災地リアルタイム、とかありえないですからね。こればかりは如何ともしがたい事実であり、悩ましいギャップだったりします。

 まだ二回しかこのシリーズ書いてませんけど、この駄文を読む時には、ぜひともご自身の想像力をフル稼働して読んで欲しいな、とささやかに思っています。
 なぜなら、私が感じた当時の気分になってもらえればと思ってる節があるんですよね。
 それぞれ思うことは違うと思いますが、ご自身の親兄弟や大切な人が私の実家にあたるものだと思って読んでいただけると、飽きるとか飽きないとか、そういう次元で物事を考えることはなくなるんじゃないかと思っています。
 撮影した写真を載せただけだと、はっきりいって地元民や深い縁がある以外の人は「わー悲惨、すごい」で終わるんですよ。それだとね、「飽きる」んです。
 これもまた、覆しがたい事実だと思っています。ですが、雀の涙ほどでも一石を投じてみたい、という願いのもと執筆しています。
 
 このブログを読んでいらっしゃる方の大半は、被災当事者以外の方が多いと思いますが、私も被災当事者外の人間です。地震が起こったのがたまたま東北だっただけで、読者の方と紙一重の立ち位置であると思います。ご自身の地元で起こった場合に置き換えれば、この日記を書いているのは読者さんだったかもしれないということです。
 
実家を支援(支援という言葉は他人行儀な印象で、私の個人活動は「お手伝い」と言って憚りませんが)するにあたって、最も大切だと思ったのはこの個人個人の「想像力」がどこまでキャパシティ(限界)と応用性があったかだったと思っています。むろん経験に基づくものがあればそれが最良ですが、目の前に事例に基づく経験値がごろごろと転がっている今を「飽き」で殺してしまうのはとてももったいのない話ではないかとも。

 押し付けがましい文面なのは重々承知ですが、「想像するための材料」として読み進めていただければ幸いです。




3/14(震災4日目)

 相変わらず肉声を聞くことはかなわず。どうしようもないんだな、と半ば強引に諦めて、自分の方の非常事態を収拾にかかりました。
 
当時首都圏近郊は強制的に時間差で停電措置がとられていました。それから、物資の運搬が一時的にストップしたため、今思えばちょっとした都市圏の被災地よかものに困るありさまでした。「今ちょっと手に入らないんだよ」と返事せざるを得なかった時の悔しさと言ったらなかったです。
 とりあえず地震の影響が色濃かったのはこのあたりだったのですが、東北の支援をスケジュールに入れることを考えると、それなりに体力と行動力を残しておかなければなりませんでした。
 
あちらさんの希望は「被災地でできないことの補助・バックアップ」でしょうから、なるべく応えられるような体制も維持しなければなりませんでした。物資を届けるだけなんてことはありえませんし、無計画に体一つでいくだけ、なんてことも許されない、というプレッシャーは感じていたように思います。


震災4日目には現地情報を共有する風潮が顕著になってきていました。出来る人はかなり限られていたのですが、それでも個別単位であまりにも状況が非現実的に変化していましたので収拾がつかなくなっていました。
とりあえずカテゴリ分けでもしよう、という機運が出始めたのもこの頃です。
私は相当あせっていたので、自分用にダイジェストを作成してすぐにアクセスできるようにしました。http://bike.n-and-u.com/?eid=1020248



 情報インフラが断絶状態ではありましたが、かろうじて現地で電波を拾って通じたメールや、現地入りの見聞で細々と実況は入ってきている状況でした。しかし、個人情報を集約するための基礎地盤がなかったため、ネット上の七ヶ浜の安否情報は当初は急遽遠方のボランティアの方が請け負っていました。
同時に、数少ない情報提供を共有する手助けもしてくださっていたので、序盤かなりの威力を発揮しました。所在が掴めなかった人がここの草の根活動のおかげで安否確認できた、ということが結構ありました。今でも大変に感謝しています。

他に、この時点では避難者名簿の現地画像がとりあえず画像サイト(Google
Picasa)に生原稿としてアップされていて、その後人力でのデータ入力(書き起こし)ボランティアが立ち上がったりなどしています。(※当時現地入りした方に七ヶ浜の名簿を頼んでみましたが、撮影できるような量ではなかったことから不可能とのことでした。初動的な全国規模での安否確認は難航した方かもしれません)

その後グーグルがGoogle Person Finderを立ち上げたことや、muji.meというサイトが周知されるようになり、twitterハッシュタグや各コミュニティのテンプレート化も進んだので、だんだん個人ボランティア集約発信型から当事者(関係者)の情報提供による半パブリックな動きへと変わっていきました。
NHKでも安否情報を四六時中提供していました。こちらの手持ちの安否情報を伝えるために何度かかけてみましたが、どうにもこうにも通じませんでしたので今回は利用しませんでした。相当な回線圧迫だったのでしょうね。
あまりにも相互に連絡がつかず、どこまで知っていいてどこまで知らないのか予想がつきづらく、非効率なことが分かっていても、人との繋がりと工夫でなんとでもなる、というような希望と信念が際立っていたように思います。
とりあえず使える手段はなんでも使う、という感じでした。

現地では家族らがあまりにも変わりすぎた状況に無理矢理にでも対応して体を動かしていることを思うと、なけなしの頭をつかった想像力(とその後の計画)と軟弱な精神力を持続させることしかできずはがゆい気持ちでした。

このように、本当に字しか出てこない1日でした。
「それしかできない」日でした。
そうすると、「なんで私は今そこにいなかったんだ」と何度もおかしな思いが脳裏を掠めていくんですよね。私がすべきは心理的に依存して一緒くたになることではないことを分かっていてもです。

 この超えられない壁の存在は、現地被災した家族と本当の意味で共有(共感)はできないしするべきことではない、と、踏ん切りをつける材料になりました。しかし、精神的にも共有できないことへのくやしさ寂しさとの狭間でずっと葛藤もしていました。

 みんな被災しているのに、わたしだけ違う。
 わたしだけ違うのだから、私にしかできないことをしよう。

 最初の1ヶ月ぐらいはこのギャップに折り合いをつける期間だったともいえます。序盤の14日のログを見ても、精神が不安定で友人に話を聞いてもらったりして助けてもらっている記録が残っていました。陰ひなたで心の支えになってくれた友人一同に心から感謝しています。





 今更ですが、私は当事者ではなく関係者としてこの日記を綴っています。当時からそんなスタンスでやってます。
 というのも、あちらから頼って欲しいと願っても、被災者当人にしてみれば頼ることすらエネルギーを使う状況でしたし、私の家族周辺に限って言えば目の前にある自分たちで出来ることが第一で(外部による環境改善を待っているより明らかに即時性が高く状況が改善する)、私への指示を含めた外部援助マネジメントの優先順位は低かった(というよりできるような余裕はなかった)ことが割と早い段階で分かったので、実益的にも精神的にも「被災当事者ではない関係者の立場」で「自分の脳みそつかって思いついたことを勝手に実行する」をかたくなに突き通すことが私のやり方だと決めたからです。
 いい悪いもあるでしょうし、時に外れることもあったでしょうが、生き死にと背中合わせの有象無象の中から必要なものを射止める作業でしたので、生きているならあとで謝ればいいことだ、と開き直りもしました。

 おそらくこの日あたりが、明確に自分の立場と方向性を認識して動くようになった頃です。


20110314 twitter log
http://twilog.org/__U___/date-110314/asc



----

●七ヶ浜町では義捐金・一般寄付金を募集中です。
 もしこの駄文を読んで力になってくださる方がいらっしゃいましたら、下記の町公式サイトよりご協力いただければ至極幸甚にございます。復興には甚大な時間と資金が必要です。何卒よろしくお願いします。

http://www.shichigahama.com/reconstruction/info.html#chp05


●災害復興バナー広告も募集中です。
七ヶ浜町公式サイトのトップページに広告を掲載することができます。
収益は町の復興に企てられます。
コメント
コメントする









WORKS


ABOUT
ENTRY TITLE
CATEGORY
ARCHIVE
COMMENT

All:
T: Y:

FEED

Mail

無料ブログサービスJUGEM



(C) 2019 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.